和える

2018 6/02
和える

「和える」という言葉が好きです。
異なるものが合わさって新しいものが生まれてる感じとアクティブな感じが。

混ぜるというぐちゃぐちゃな感じよりも、合わさったもの同士が互いの形を残したまま新しいものを作り出しているような
和えるにはそういうニュアンスもあると思うんです。

地域おこし協力隊として村に入ったり、ネパールの農村支援で農村部に行ったりして思うのは、やっぱり自分は自分でいたいと感じます。
郷に入れば郷に従えっていう言葉もあるけど、それは簡単で面白くない。
ネパールに行って一番思ったのは、自分は日本人やねんなと。
ネパール人に帰化したり現地で結婚したら楽だと思うけど、あくまで「日本人として何がしたいか」を考えてました。
今天川村に来て思うのは浪速で育ってるんやなと。
ただそれを人に押し付けたらダメだということをいつも念頭に置いてます。
そういう思いもあるので混ぜるではなく、「和える」が好きです。

それに「和える」という言葉は、誰かがしているという能動的な言葉でもあります。
受動的な表現がないのは自然発生的に生まれているのではなく、誰かが意図して和えているからと思います。
互いに尊重し合い和えるためには優しさや気遣いが必要ということを表しているとも思っています。

地域活性と言われるようなことに「和える」はとても必要なことだと思っていますが、
それ以外にも日頃少しでもそういう気持ちを持っていると「和」が増えていくんじゃないですか。そうなってほしいと勝手に思ってます。

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